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子どもたちがいたから今の私がある

1 「怒る」と「叱る」の違いを子どもから教えられた。
 教員4年目。5年生を担任していたころの話です。
 一人の男子児童を注意する必要が出てきました(どのような内容であったかは覚えていません。休み時間に、別の教室に呼び出して、一対一で指導をすることにしました。
 私のなかでは、厳しく指導するというつもりがその時にはほとんどありませんでした。なので、とても冷静に状況を聞いていくことにしました。
 すると、その男子児童が泣きだしたのです。その涙は、「悪いことをしてごめんなさい」という涙でした。
 この出来事は私にとって衝撃でした。それと同時に大切なことに気づかされました。
 それまで私がやっていたのは「怒る」であったのです。感情のままに、声を荒げて言う。指導の類ではなかったのです。そして、今やっていることが「叱る・諭す」という指導なのだということに気づくこととなったのです。
 彼とは、20歳を過ぎて飲んだことがあります。当然、上記のことを彼が覚えていたり話に出したりということはありません。しかし私にとってはターニングポイントとなった瞬間です。

2 先生、何か違う…
 これも4年目での話。運動会で組体操の指導をしていました。私ともう二人の先生、20代トリオで指導を進めました。
 練習を始めて数日が経ったある日、6年生の先生からその三人は呼び出されました。そして、校長室で指導。要は、「先輩に質問とか聞きに来ないで、若者3人がどんどんと指導を進めているのはどういうことなんだ」と。悔しかったです。涙がこぼれました。
 その翌日です。「6年部の先生たちは今日の練習、どのように見るのだろうか」という思いがありながら、それをふっ切って教室に入りました。私のなかではいつもの日常を始めたつもりでした。
 そのときです。一人の女子児童が一言。「先生、いつもと何か違う」。どこまで子どもの感性は鋭いのだとギクッと驚かされた一瞬です。

3 子どもに泣かされる
 私は2か月、学校を休んだことがあります。その時に担任していた児童とのつながりは、2か月がないのにもかかわらず、ものすごく強くなりました。休む前にも、手紙が来たり、元気を出させるためか折り紙を折ってきたりと心温まる子どもたちでした。
 さて、その子たちが卒業を迎えました。卒業式の前日、最後の練習を終えて、子どもたちに対して話をする機会を与えていただきました。
 「先生は、もしかしたらここにいなかったかもしれない…」。こみ上げるものを押えることができませんでした。「先生は、君たちと別れるのが正直、寂しい」。
 卒業式当日も、だめでしたね。これだけ涙、涙の卒業式は今後あるだろうか…

 子どもに泣かされたことがあるか。子どもの感性の高さに驚かされたことがあるか。子どもから学ぶということは、こういうところまで含んで私は言っているのです。

通知表は生涯残る可能性の高いもの。だからこそ、通知表所見の文章にはこだわりたい。私の文章修業の目的は、ここにあるといっても過言ではない。

 通知表の所見について、私は他の事務作業とは一線を引いています。
 評価・評定は、なかなかいじることができない・仕方がないところがある。だからこそ、所見ではその子の良さが分かるように心をこめて書こうと強く思っています。

 学級通信やレポートなど文章を書く場が多くあります。それを私は、文章修業の場と位置づけていますが、その目的は「レポートや論文で賞を取ろう」や「昨年度よりも多く通信を発行しよう」などというものではありません。
 私の文章修業の目的は、「通知表所見で、子どもたち・保護者似残る文章を書くこと」。にあります。このために多くの文章を読んだり書いたりしています。

 私がどうして、通知表の所見にここまでこだわるのか。理由があります。
 通知表は唯一。大人になっても残る可能性があるからだと考えているからです。
 作文や絵の朱書きやノートの点検、学級通信などは、私の感覚では大人になっても残っているものだとは思えません。
 しかし、大人になっても残るもの、即ち小学生時代を語る具体的なものとして通知表があるのではないでしょうか。

 通知表所見については、野口芳宏先生が次のように言います。
・担任は世界で唯一にして最上の執筆者としての自信と誇りを持つべきです。
・かつて先輩に「通知表を見る人は三代にわたるから、慎重に心をこめて書け」とさとされたことがあります。三代とは「両親、祖父母、ご先祖様」という意味で、確かに私自身の通知表も仏壇に上げられていた思い出があります。(中略)古臭くひびくかもしれませんが、通知表の大切さは変わりません。

 その子の家族、親類が通知表を見るでしょう。そしてその子が親になったとき、子どもと一緒に見返すかもしれません。それだけのものをもっているのが通知表であると考えます。

 通知表所見について以上のような思いに至っているのは、決して独断ではなく、初任のときの先輩先生に見せていただいた所見に感動を受けたからです。そして、所見についてのその先生の考えを知ることができたからなのです。
 ちなみに、私の所見の書き方は次の通りです。

 一行目…その子だけの事実を具体的に書く。具体的にとは、ノートの記述や発言内容が書けるとよい。
 二行目…一行目の言動に見える価値を教師が見出す。
 (足りない場合はこの二行をもう一つ項目を出して書く)
 三行目…次への期待を記す。

今の自分があるのは、諸先輩方の支えがあったからであり、子どもたちが迎え入れてくれたから。

 あなたは、メンターと呼ばれる人をおもちでしょうか。 
 私には現場に2人のメンターがいます。

一人目は、初任時代に出会った先生です。その先生からは教師としての生き方について学ぶことができたと思っています。道徳・学級通信・通知表所見の大切さ、子どもとのフランクな接し方だけでなく厳しく叱ることのバランスなど多くのことを学びました。仕事だけでなく、遊ぶことの大切さも身をもって教えてくださいました。小中両方で勤務することの意味も知ることができました。

二人目は、中学校勤務の際に特別支援学級の主任をしてくださった先生です。特別支援教育のいろはを教えてくださいました。「愛される子どもたちの育成」というねらいは、この先生のものを継承しています。この先生に出会えたからこそ、特別支援教育の素晴らしさと大変さ双方を経験していくことができました。

今では、勤務校も違い、お二方の立場も変わりました。顔を合わせる機会もぐっと減りましたが、年に1回以上はあります。出張などで顔を合わせるチャンスがあるときは必ずあいさつに行きます。会えるというだけで前日から気持ちが高鳴るのは、このお二方ぐらいです。私の精神的支柱としてこれからも支えてくださる存在であります。

 さて、もう一人(といっていいのか分かりませんが)、大切な人たちがいます。教え子の存在です。初任校・2校目の教え子は成人になりました。大学生活を謳歌している者、働きに出ている者いろいろです。昨年度、学生ボランティアで4名の教え子が勤務校に来ました。そして他校では教育実習で教え子ががんばりました。教え子ががんばっていること、その何人かが教育現場を目指していることは、うれしく感じます。
 そして、今の私にとって「伝説のクラス」と名づけている学級があります。昨年度、私が4年2組を担任したクラスです。その時に私は2か月の療休をとりました。復帰した私を迎えてくれたのが彼ら・彼女たちでした。保護者のチームワークも絶大でした。私の結婚式にも招待したのはこの子たちでした。4年生で担任をして2年経った卒業間際でも「4年2組よかったよね」と言ってくれる子どもたちでした。彼らの将来の活躍が今から楽しみです。(資料1・2 彼らと過ごした日々)

メンターをもつということは、相手がどう思っているのかは関係ないのです。私についても、勝手に思っていることですので、相手の先生や子どもたちが私のことをどのように考えているかを聞いたこともありませんし、これからも聞くことはないでしょう。しかし、会えば元気になれる存在であることは事実なのです。私にはこの事実があるだけで十分なのです。そういう存在がいることは、私が教師としての歩みを続けるために不可欠なのです。

先達も言っているが、初任校での人との出会いや経験が、その後を左右するところが大きい。私も実感をもって言える。

私は初任校(小学校)で5年間勤務しました。
 初任では小学3年生を担任しました。初めての研究授業では、なかなか意見が出てこない子どもたちに対して「いつもみたいににぎやかにならないと」と言ってはみたものの、子どもたちからなかなか意見が出ない。結果的に私の無意味な言葉だけがよく跳ぶ授業でした。子どもたちは授業が終わった瞬間、黒板に出てきて、授業で使った資料をじっくりと見たり触ったりしていました。子どもたちは資料を使ってもっと自分たちで説明をしたかったんだなと、今となっては理解できますが、当時は「それを授業で見せてくれよ」と思っていました。その時の授業テープはあるのですが、未だに聞くことができません。
 授業がこんな感じなので、学級もまとまっていたとは到底言えません。隣の教室の先生からは、「今日も楠本くんが元気だったねえ」と。私の声だけが目立つ授業をしていたことを端的に教えていただきました。
 当時の主任先生には生意気な言動ばかりでした。それを温かく聞いてくださいました。それまでは学年で体育をやっていたのですが、3学期からはそれぞれの学級で進めるようにしました。主任先生の中には合同体育にして私に伝えたかったことがあったと思うのですが、そのことには全く気づかず、独断で進めていました。
 この学年を持ち上がった2年目。少しずつ自分の学びと授業・学級づくりがリンクしてきたことを実感できました。仕事についても少しだけ、周りが見えるようになりました。学級通信の出し方、通知表の初見、指導案の書き方、教室掲示のあり方など、直接ご指導いただいたこと以上に、先輩達の動きや作ったものから、学びを盗んで自分のものとしていきました。
 3年目は2年生を担任。一人の保護者が「子どもの様子が心配だから」と、三ヶ月もの間、朝から昼まで教室を参観するということがありました。これも今となっては貴重な経験となっています。防災教育の研究発表があり、それに向けて生活科や道徳の授業に力を入れていきました。子どもたちもいい子ばかりで、多くの手応えをつかんだ一年間でした。
 そして、5・6年生ともちました。2クラスですが一応主任という立場で、授業だけでなく学年行事も進めていきました。組体操では先輩の先生からかなり厳しいご指導を受けました。また、国語の研究授業を進めていきました。大学の先生が講師で見えました。授業の楽しさ・難しさを強く知ることができました。これまでの経験を生かして、やりたいことをどんどんやっていった2年間でした。保護者にも恵まれました。

 さて、エピソードをつらつらと書きました。私の今があるのは初任校での実践やご指導が大きな基盤となっています。当時お世話になった先生には、全く頭が上がりません。常に私自身がスタートの気持ちに立つことができます。初任での実践・出会いが今の私を支えていると思うと、本当に幸せ者です。
 初任校とは、そういうものです。どんな出会いもはじめてであり、どんな実践も一度目です。だからこそ、どんなものでも新鮮でいつまでも残ります。そして、それが今の私とつながっているのです。年が経つごとに初任校での経験が大きなものであったと気づくことができたなら、あなたの教師人生はすてきなものとなるでしょう。

みんな、いろいろなものを抱えながら、教師やってる

10年以上、この仕事をしていると、いろいろなことを考えるようになりました。
 20代では、わき目も振らず、自分のやりたいことを邁進していました。子どもたちに最善のことをやっているという自信をもって進んでいました。
 子どものために最善のこととは、どのようなことでしょうか。教師がしっかりと学び、さまざまなネタで意欲を促して、深く考えさせていく授業なのでしょうか。
 私は、4年目・5年目と小学5・6年の担任をしました。2クラスの主任を務めさせていただきました。相方は私の1つ年上の女性先生。私のように教育書やサークルなどから学ぶ教師ではありません。しかし、子どもに正対し、じっくりと実践を積み重ねていく教師でした。その2年間を通して学んだことは「私の教室だけがよくてはいけないんだ。私が自分の教室で楽しい授業をしていると、相方のクラスは相対的につまならいクラスとなってしまうのだ」ということです。子どもに良かれと思って取り組んだことが、逆に子どもたちを苦しめることになっていたのです。
 また、20代ではお母さん先生と学年を組むことも多かったです。家庭のことがあって、早退をしたり早めに帰宅したりして、仕事が遅くなっている状況を見て、「それでいいのか」と憤慨していました。「自分はこうはならないぞ」とまで思っていました。

 さて、今の私ははっきりと言えます。上記の考えは間違えであったと。
 「みんな、いろいろなものを抱えながら、教師をやっているんだよ。」この考えに至ったのは、私の環境が変わったからです。
 まずは、療休をとったこと。心の病です。10月から12月までを休みました。その間、本当に多くの先生に迷惑をかけました。復帰してからも、こいつはどうなるのかと心配をかけながらの日々であったことでしょう。自分の身体と上手に付き合っていくことが必要になりました。今まで通り、何も考えずに進めていくということが難しくなったのです。
 もう一つは、結婚をして家庭をもったということです。自分だけの時間ではなくなったのです。家庭があっての仕事です。家庭があっての学びの時間です。優先順位ががらりと変わったのです。
妹も同じ時期に結婚しました。それに伴い、母が一人で暮らすことになりました。そうすると、母が体力的にも気持ち的にも弱くなってしまうということが起きました。家族を支える必要がこれまで以上に増えたのです。

 家族がいる。子どもがいる。親の介護がある。家族で問題がある。自分自身の体調のこと。彼女とのつき合い方。婚活。妊活。お金の問題…教師一人一人いろいろなものを抱えているのです。何も心配事や悩みのない教師などいないでしょう。このようなものを抱えながらも、子どもの前にたてば笑顔で教師をやっているのです。このこと一つとっても、その教師はプロであるといえるでしょう。そのような教師に対して、否定的なことを言うことなどできないはずです。【みんな、いろいろなものを抱えながら、必死で教師やっているんだよ】…自分がそうでなくても、周りの教師はそうなんだとイメージをもつことはできるはずです。そして、自分が今はそのような境遇にいないとしても、いずれ必ず訪れるものなのです。それでも教師としてやっていけるかは先輩の取り組みをよく見たり手伝ったり、その教師の抱えているものに思いを馳せてみることが大切なのです。
プロフィール

Teru3128

Author:Teru3128
小学校、特別支援学級の担任です。
今年度で教職14年目。
教師修業をぼちぼちと進んでいます。

本年度は、特別支援学級における「道徳授業」を追究する一年間です。
失敗から見えてくるものを大切に、授業実践の楽しさに浸っています。

そして、今年は有田実践からも学び広めていきます。

心を耕し、技術を磨いていきます。
よろしくおねがいします。

ありがとうございます!
ハッピー

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