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【社会・理解・生活科】見つけることから始まる

 社会科・理科・生活科においては、「見つけよう」ということを主に授業を作っていくことが効果的であると考えます。
①とにかくたくさん見つけよう    ②すごいなあと思ったところを見つけよう
③変だなと思ったところを見つけよう
 そして、見つけたことはノートやプリントに書かせていきます。見つけたことの説明は言葉になったり、絵になったり、実物を貼りつけたりといろいろ出てきます(いろいろ出てくるように、声かけをしていきます)。楽しんで書くことができるようにしていきます。
 さて、②・③については、「どんなところがすごいと思ったの?」「どんなふうに変だと思ったの?」と思いを引き出したり、不足している部分を質問したりすることで、その子の意見をより明確に、周りの児童にも分かるようにしていきます。黒板にその意見を書いておきます。理解できるようにしていくことで、「○○くんに賛成で~」と、つけたし発言ができるようになるからです。
 ①については、複数の見つけたことから「ベスト3を選んでください」と話し、自分の意見に赤ペンで線を引かせます。自分の考えを客観的に見ることができ、自己判断の力を育てることにもつなげていくのです。また、ベスト1にした意見が出てきます。そこには「1番にした理由・思い」があるのです。それを聞いていくことにより「見つけた事実」と「その事実に対する自分の思い」の双方を意見として子どもたちがもつことができるのです。
 さて、ある対象からの見つけをしたあとに、ぜひやっていけるとよいのが、「比べて見つける」学習です。比べる対象をこちらが用意することで、子どもたちは自発的に見つけを始めていきます。
 例えば、自分が育てたアサガオから、すごいところを見つけて、それを出し合いました。その後に、「友達のアサガオも見てみよう。比べっこをして見つけてみよう」と投げかけるのです。比較することで、見る観点を増やすことができるでしょう(その前に出し合いをしていると、そこで、見る観点がいろいろあることを全体で共有させることができます)。また比較をすることによって、一つの対象からの見つけたことの意味が深まってきます。例えば、自分のアサガオから「花が5つ咲いていました」という見つけをした子がいるとしましょう。友達のアサガオには花が3つ咲いていたことを見つけました。そうすると、「花が5つ」ということが「ひょっとして、ぼくのアサガオはみんなの中でたくさん花が咲いている方なのかもしれない」という思い(予想)をもつことができるでしょう。ただの「5つ」が、比較を通して「多い・少ない」という観点で「5つ」というものを見ることができるようになります。
 社会科においても、「スーパーとコンビニを比べる」「みよし市と海津市を比べる」「昔と今を比べる」など、「比べる」という視点で学びを深める展開が用意されています。子どもたちの発見力を高めていく上でも「比べる」活動を設定していくことをお勧めします。
 小学校段階においては、「比較して見つける」技能は、特別支援学級だけではなく通常学級児童も体得させたいものであると考えます。そして、比較することで、見つけがしやすくなるだけでなく、「事実からの自分の思い」ももちやすくなります。自閉症の児童生徒にとっては、「比較する」という学習技能を身につけることで、「自分の思い」に気づきやすくなると考えます。
 自分の殻に閉じこもるのではなく、周りの世界に関心を向けられる子どもたちにしたいです。そのためには、「見つけよう」「比べて見つけよう」という学習活動は極めて効果的であると考えます。

【図工】どこまで手をかけるのか

 図工でどこまで手をかけるとよいのか、毎回、頭を悩ますところです。
 私は、子どもの実態やその作品の意味合いなどを加味して、さじ加減を変えています。
① 子どもの実態を見取る
 図工にかかわらずどの教科においても、「子どもの実態から始まる」という視点は大切にしたいです。
図工が好きか嫌いか。得意(と思っている)か苦手(と思っている)か。道具の使い方の慣れ具合(安全面も考慮して)。扱う題材との関わり。などなど、子どもと図工との関わりや今回の題材との親和性(楽しくやれそうか)などを総合的に判断していきます。
 また、どの段階で手をかけるとよいのかも必要になってきます。版画の場合、下絵は子どもに練習を数枚してから本番を描かせる。彫るところは個別指導。刷るところはみんなで取り組ませていくなど、作業過程で教師支援が必要なところ、自分でがんばらせたいところを考えていきます。また、材料が示されて、そこから「イメージを膨らませて自由につくっていいよ」というものもあります。そして、そのスタートのところに難しさを感じるお子さんもいます。その場合には、スタートのところを教師支援を入れて丁寧に進めます。まずは題材と仲良くなるところから始めます。自由に触らせ、遊びの感覚から「ふわふわ」「とんでいったぁ」などのつぶやきをひろっていきます。そして、そのつぶやきをヒントにして制作していくものを一緒に考えていきます。
 教師支援が必要なところを子どもたちに聞いてもいいでしょう。自己決定させる力をつけることができます。しかし、子どもの決定を過信しすぎて、上手くいかなくて自信を失うということがないようにしたいですね。「ここは任せたよ。がんばって」と言いながらもその子に気をかけておきましょう。
 もう一つ。途中で教師支援はありますが、最後のところは子どもの力で取り組ませたいです。感性の達成感を子どもに味わわせるのです。支援を引くことも大切な教師支援です。
② 制作のねらい
 「作品展があるから、これは全校児童が作るんだよ」とか「授業参観で展示できるといいね」という場合もあるでしょう。保護者や外部の人が見る作品にいて、「子どものそのままの姿を作品にも反映させればいいのではないか(子どもに任せて作らせればいい)」という考えもあるでしょう。一方、「多くの人が見るなら、多少、大人の手が入っても『すごい、がんばった』と、認められるものにしてあげたい」という気持ちもあるでしょう。今の私は、後者寄りです。作品展の場合は、子どもの実態からあまり離れすぎた作品になってはいけないと思いながら、どのレベルの完成度で折り合いをつけようが考えながら支援を入れます。保護者だけにみてもらうものでしたら、指導を入れたところを保護者に伝えることもします。「こうすると、描けましたよ」という話が参考になるようです。
③ 交流教室で展示するもの
 「交流教室でも掲示ができるといいなあと思っていますが」と、交流学級担任に言われることがあります。私は、これが一番どこまで支援をすればいいのか悩むところなのです。交流学級児童と支援学級児童との関係性や支援学級児童に対する理解度・共感度の高低によって支援の程度を変えていきます。また、高学年だと自尊心も働きます。あまり、見栄えが良くない絵や字のものを掲示させるわけにはいかないなあと何度か練習をさせてから本番を描かせることもあります。「うまい。がんばった」というよりも、交流学級児童との違和感がないようにというところに私の意識は、向かいます。このような時は、事前に制作したものを見せてもらって、なるべく自然な形の作品で掲示してもらえるようにします。

個別の指導が多くなるからこそ、集団での学びを重視する

特別支援学級在籍の児童生徒は、個々に発達段階や課題が大きく異なります。当然、学年も違います。一つの教材で一斉形式での授業は難しくなります。とりわけ、国語や算数の授業は、個別で指導を進めることが多くなります。教具や具体物を使って授業を展開できる時もあれば、プリントを使って進める場合も出てきます。
ややもすると、授業時間のほとんどを個々で取り組ませる時間となってしまいます。そして、このことを「個々に課題が違うのだから当然である。」「一つの教材で授業など、この子たちにはできない。」ととらえている教師も出てきます。
最終的には個の力を伸ばすことが学校教育に課せられたところでしょう。だからといって、共に生活している児童生徒と関わりをつくらないというのも、どうなのでしょうか。
学校教育が学級という集団で授業を進めている意図を考えてみるとよいでしょう。そこには「集団の教育力」というものがあるからでしょう。先人もそのことは認めているから、現在にいたっているのでしょう。
この「集団での教育力」、特別支援学級では使うことはできないのでしょうか。
むしろ、特別支援学級だからこそ、小集団によって育てられる力がある、というのが私の主張です。

私は、生活単元学習・道徳の時間・スピーチ活動を集団での学びの場と位置づけ、継続的に授業を展開しました。
最初は、ものを作ったりする活動から入った方がよいでしょう。個々で取り組める時間を保障しつつ、隣ではちょっと違ったものを作っているということで、他者に関心を寄せる機会となるかもしれません。その中で教師や支援員が橋渡しとして、関わりを作っていけるとよいでしょう。
次の段階では、お楽しみ会などのレクを作っていく活動をしてみるとよいでしょう。ものづくりとは逆で、今度はひとつもの(お楽しみ会)をみんなでつくっていくということが主となります。その中で役割を分担して個々に進める時間を取るのです。子どもたち同士の関わりは増えることでしょう(自然な形で増やすことができるでしょう)。
上記のような活動を授業で取り組ませていき、給食や清掃時間・朝の会や帰りの会をみんなで取り組ませていくことで、所属感やみんなで取り組むことの良さを自然な形で積ませていきましょう。
そして、スピーチや道徳などで意見を聴き合う時間をつくっていくことになります。集団で学び合うことによって、子どもたちは考えの違いを理解しながら自分の考えを創っていけるようになりました。

自閉症・情緒等学級ではなおさら、集団での授業に取り組まれることを望みます。まずは、授業が成立するという価値を大切にしてほしいです。このような時間を意図的に仕組まなければ、この学級の子どもたちは周りの児童生徒と関わろうとすることが少ないままでしょう。彼らの社会性を育てるには、学校生活全般に含まれる授業の時間でこそ大切にされるべきなのです。授業を通して集団を育て、集団づくりから個々の力を伸ばしていくのです。
私も当初は、「一斉で授業をするのは難しい。研究授業ぐらいに単発でやればいいだろう」と思っていました。しかし、一斉形式の授業の可能性を見せてくれたのは、目の前の子どもたちのがんばりだったのです。

自身の実践の省察が大切

特別支援学級には教科書がありません。国語や算数でも教科書を使うことはあるが、教科書通り進むことはほとんどありません(教科書通り進めることができるのなら、この教室にはいないはずである)。
教科書を外れて、教科書がない状態で授業を作っていく必要があるのです。
子どもたちの実態を見定め、そこから教師の使えるネタや教材を用いて、授業を組みたてていくのです。ここで、いくつかのポイントがあります。
・極めて個性的な子どもたちの実態を適切に見定めることができているか。
・その教師が使えるネタや教材がどれくらいあるのか。
・個性的な子どもたちに対して、魅力的だと感じる教材を使って授業を上手く組みたてていけるのか。
さて、これらについて、自分自身で「今の私はきちんとできているか」を常に見定める目が必要です。この目を育てることができていないで、自分の思いだけで邁進して授業を進めてしまっては、子どもたちを放っておいて、力を伸ばすことができない授業になってしまうでしょう。自分で授業を作っていく際に陥りやすいところだと考えます。あくまでも、自分の見える範囲でしか子ども理解も教材研究もできていないのです。このことは心しておきたいです。
まずは、自分の実践に対して「これでよいのか」「さらによくすることはできないか」と疑問の目をもちながら、客観的に見ていくことです。メタ認知能力を高めることです。特別支援学級はすべからく、この力を高めることを続けなければならないと考えます。これについては、通常学級担任以上に必要なことであると私は考える。
次に求められるのは、周りの先生に自分の取り組みや方向性が間違っていないか、ご指導を得ることです。自分で自分を見つめることには限界があります。他者からの視点で気づかされることが多いでしょう。実践集でまとめる・現職教育や協議会の場で切ってもらう・サークルやセミナーで提案する、など他者の目にさらす経験を増やすことです。
 そして、常に学び続けることが必要です。学ぶことで自身を客観的に見つめることができます。多くの実践に触れることです。多彩な実践が先達によって取り組まれています。そのようなものを学べば学ぶほど、「自分の実践はまだまだだな。こんなに可能性があるのだ」と目を拓かれる思いをするでしょう。そのような経験を多く積むことです。これは教育とは異なる分野からでも学ぶことでも気づけるところでしょう。教師はどこからでも学べるし、どんなことも実践のヒントになるのです。そうして周りをみつめるのです。我以外皆我師なのです。
教科書というのは何と便利なものかということが、実践を通して強く感じるようになりました。教科書通りに進めていけば、その学年で必要な力を身につけられるし、教科書を終えれば、その学年の学習が終わったということができるのです。便利であるが故に怖さもあるということを分かってもらいたいです。教科書が最後まで進んだ=クラスの全員が、その学年の内容・力を身につけることができた……そんなことは絶対にないのです。教科書に縛られないからこそ特別支援学級は、その子の力に合わせた指導ができるともいえるし、教科書が存在する通常学級が、3月までに全員を次の学年へ引き上げなければならないという十字架を背負っているのです。
教科書という十字架がないからこそ、特別支援学級担任は自由に授業をつくることができます。そして、自由には責任が伴います。その責任を果たすために必要な力が、特別支援学級教師のメタ認知能力です。

学校生活全体に思考場面を設けること~教師の問いかけ~

 自分たちで行動できる子どもにしていくためには、自分で考えられることが必要です。 考えるということは決して、漢字が書けるとか計算ができるという、狭い範疇のことをさしているのではありません。生きていくために考えることが必要だということです。
 そのためには、生活全般において、子どもたちを思考状態へと誘うことが教師に求められます。
 よくあるのが、子どもが用具を忘れたときです。「先生、教科書忘れました」という報告をさせますよね。これは、教師と子どもの間で約束して決められていることが多いでしょう。そこで終わりにしていないでしょうか。「忘れました」と報告があれば、ほぼ反射的には教師が教科書を貸してあげる、といったことにはなってはいないでしょうか。
 「忘れました」と報告があったら、私は「でっ?」と聞き返します。忘れたら報告するまでは約束にしていますが、その後のことは特には決めていません。決めていないことを、教師から「でっ?」と聞かれたら、子どもは考えざるをえません。「隣の人に見せてもらいます」となるかもしれませんし、「貸してください」と言ってくるかもしれません。私にとっては、どちらでもいいのです。子どもが考えて自分で決められたことに価値を置いているのです。
 交流授業から戻ってきたら、その授業の様子を報告することを約束しています。「音楽の授業がありました。鍵盤ハーモニカをやりました。」などと報告があります。
 ここでも問い返すことがあります。曲名が出てこなかったら、「何ていう曲を歌ったの?」。そうすると子どもたちは、教科書を開いて教えてくれます。また、「上手に弾けましたか。」「上手に歌えて、どう思いましたか。」など、子どもの実態や報告する様子をみながら、問い返す事柄をこちらも考えます。 
学校生活においては、トラブルやいけない行動も子どもですので出てきます。そういうときこそ指導のチャンスなのです。どうすればよかったのかを落ち着いた状態で考えさせていきましょう。
「廊下は走らない」子どもたちは分かっています。でもどうしても走ってしまうのです。ストップをかけて「どうすればいいかな」と聞いてみましょう。子どもは「歩く」と冷静に答えることができるでしょう。
また、友だち同士のトラブルも思考させるチャンスなのです。教師が一方的に「●●さんは、こうすればよかった。▲▲さんはここがよくなかった。では次からはこういうことがないように握手をしましょう」という指導をしていては、実にもったいないのです。
「どこがよくなかったのかな?」「どうなっていれば、ケンカにならなかったと思う?」
「叩いてしまったことについてはどう思ってる?」「このまま、仲が悪いままでもいいのかな?」
「これからはどうしていこうか?」「困ったときには、どうしたらいいかな?」
子どもたちに問いかけながら、トラブルの発端や経緯を紐解いていく感じがいいと思います。子どもにとっても問いかけに答えることで自分の思いや考えをはき出すことができます。自分の思いや考えをもとに解決策が見えてくるので、子どもたちもその案に納得することができます。

子どもたちは、教師が問うことで思考を始めるのです。学校生活に思考状態という楔を打つためには、教師の問いかけが不可欠なのです。そして、その問いは、子どもの実態把握があってこそ、その子の思考レベルにあったものとなるのです。
プロフィール

Teru3128

Author:Teru3128
小学校、特別支援学級の担任です。
今年度で教職14年目。
教師修業をぼちぼちと進んでいます。

本年度は、特別支援学級における「道徳授業」を追究する一年間です。
失敗から見えてくるものを大切に、授業実践の楽しさに浸っています。

そして、今年は有田実践からも学び広めていきます。

心を耕し、技術を磨いていきます。
よろしくおねがいします。

ありがとうございます!
ハッピー

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