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半歩の前進にもよろこぶもの

この言葉は、国分一太郎先生の著書にあったものです。特別支援教育において、大切な視点だと思い、引かせていただきました。国分先生は次のように言います。

 子どものよろこびを、よろこびと感じえない先生は、わざわいなるかなです。半歩の前進をも、よろこぶものとなりえない先生は、にくむべきかなです。ひとの子の師である人にとっては、一歩一歩はもちろん、半歩半歩でも、その子がのびていく、その子の意識に進歩的な変化が起こっていくということは、腕をたたいてよろこぶべきこと、「おおよくできた!」と感嘆の声を発してよろこぶべきことではないでしょうか?    
 【国分一太郎『新版 君ひとの子の師であれば』新評論1983】

 私は特別支援学級において一年間、一人の児童を担任した経験があります。これは、非常に大きな経験であり、今後もこの一年間を過ごした意義は大きくなっていくと確信をもっています。
 その児童は、小学2年生の男の子でしたが、脳の障害により発達年齢は2歳8か月でした。実年齢と発達年齢の双方を考慮して、彼と共に学校生活を作っていきました。
 国語は、なぞりがきの練習や絵カードを使って言葉を言う練習。算数は、1~10までを正しく数えられるようにすることを中心に進めてきました。
 なぞりがきについては、まずは、自分の名前をらがなで書けるようにすることに取り組ませていきました。他のひらがな練習も進めましたが、名前を書けるようにする練習は一年間、それ以降も続きました。特に私が担任した一年間では「よ」の回るところができるようにすることを一つの目標としていきました。
 偶然(?)にも「できた」ときがあっても、次の時間になると「あれっ?さっきはできたと思ったけど」ということの連続でした。「やらないっ!」と言って、45分何もしないということもありました。
それでも書けたときは「すごいっ!できたね!!」と本人以上にテンションが上がったことを覚えています。
 発達年齢からすると、とてもとても難しい・今の彼にやる必要など本当にあるのか、ということも学校生活においては山ほどあります。それでも小学2年生として同級生と共に生活するためには必要なことなのです。できなくて、私から注意されることも何度もありました。それでもがんばれる時間が増えていきました。教室に戻ると、「よくがんばったね!」とだっこしながら喜び合いました。
 「半歩の前進」といえば、ボタンつけが最たるものかもしれません。給食配ぜんときにエプロンを来ます。エプロンには3つのボタンがついています。ボタンの着脱は、牛乳配りという彼の仕事以上に大きな目標でした。これも一年間、毎日続けました。本当にちょっとずつの進歩です。その時には成長しているのかは分からないぐらいです。数か月たって思い返すと、「確かに、春に比べると、スムーズにボタンを外せるようになったよね」と言える感じでした。何度、手を貸したい衝動を抑えたことでしょう。「ここで、私がやってしまっては、彼が社会で生活できない」と何度も何度も言い聞かせ、「あせってはだめだ」とつぶやきながら、彼の様子を見守り続けました。
 成長の度合いなど、一人一人違うのです。しかしその子にとって、半歩だろうと何だろうと成長には違いないのです。その事実を心の底から喜ぶことは、どの児童に対しても変わりません。
 あれから2年が過ぎました。ボタンの着脱は大分スムーズになりました。ひらがなはなぞりがきの筆圧が濃くなり、回るところもきれいになぞることができています。
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プロフィール

Teru3128

Author:Teru3128
小学校、特別支援学級の担任です。
今年度で教職14年目。
教師修業をぼちぼちと進んでいます。

本年度は、特別支援学級における「道徳授業」を追究する一年間です。
失敗から見えてくるものを大切に、授業実践の楽しさに浸っています。

そして、今年は有田実践からも学び広めていきます。

心を耕し、技術を磨いていきます。
よろしくおねがいします。

ありがとうございます!
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