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担任のことなど、忘れてしまうのが健全なのだ

 小中と両方の学校での勤務を経験していると、違和感を覚えることがあります。
 小学校の卒業式に対して、「もう二度と会えない。これで最後。」ということが強調され過ぎではないでしょうか。
 これは事実だといわれればそうなのでしょう。確かに、教師にとっては、卒業式でこの子たちとはお別れとなってしまう。その寂しさも分かります。
 それにしてもです。小学校卒業式が、そこまで悲しみいっぱいのものなのでしょうか。

 子どもたちはその1か月後(正確には2週間後)には、中学校の入学式を迎えます。子どもたちにとっては小学校卒業式は一つの区切りであるとともに、通過点なのです。
 「区切り」という観点が強すぎると、そこで終わり。次へと進むエネルギーや向かう意欲が出てこないという状態ではいけないと考えるのです。

 別れるのは寂しい。「けれども、中学校でもがんばれよ!」と言って送り出したいです。
 私は、卒業式練習時に卒業生にはなむけの言葉を話す時間に、次のように話したことがあります。

中学校は、小学校より間違いなく楽しくて、充実した時間となるだろう。
そのためには、小学校時代をきちんと終えることが大切である。
中途半端に小学校を終えたのでは、中学校のスタートもしっかりと切れない。
残された小学校生活を精一杯、楽しんでほしい。
もう一度言う。
中学校は、小学校より間違いなく楽しくて、充実した時間となる。

 次のように考えてみてほしい。
  ・小学校時代が一番楽しかった…それで本当にいいのか。
  ・小学校の時の担任が一番よかった…それで本当にいいのか。
  ・戻れるなら、小学校時代に戻りたい…それで本当にいいのか。
 このように言われたら、担任冥利に尽きると感じる人もいるかもしれない。
 しかし、私はそのようには全く思いません。逆に、心配になってしまいます。
 このことは、裏を返せば、中高大のときが、小学校時代を超えるものでなかったということなのです。それはどうなのでしょうかと思ってしまいます。これは本当に自分で前に進む力を身に付けられたと言えるのでしょうか。厳しいことを言えば小学校教育の失敗ではないかとも思うのです。

 このように考えるから、「いつまでも忘れないで」などとは、私は言えないのです。私のことなど、忘れてしまうのが健全なのです。なぜなら、高校生になっても「小学校の時の先生は…」などと考えている状況は、今を楽しめていない、充実したものとなっていないということでしょう。小学校の時より中学の方が楽しく、中学よりも高校、大学の方が充実した生活を送れる教え子であってほしいと切に願っています。だから、本心は「ほんのちょっとは覚えていてほしいが、忘れてしまっても構わない。それで、あなたが楽しく人生を過ごせているのなら、私はそのことの方が何よりもうれしい」となるのです。
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Teru3128

Author:Teru3128
小学校、特別支援学級の担任です。
今年度で教職14年目。
教師修業をぼちぼちと進んでいます。

本年度は、特別支援学級における「道徳授業」を追究する一年間です。
失敗から見えてくるものを大切に、授業実践の楽しさに浸っています。

そして、今年は有田実践からも学び広めていきます。

心を耕し、技術を磨いていきます。
よろしくおねがいします。

ありがとうございます!
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