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いつも子どもに助けられている

 研究授業に臨むにあたって、教材研究をして、指導案を作成する。子どもたちの発言を予想し、板書計画を立てる。
 「今回こそは、文句なしの研究授業にしたい。それができる準備をしてきた」という思いをもって研究授業開始。そして45分が終わると、毎回、同じことを思う。
今日の研究授業も、子どもたちに助けられたな…
 こういう感覚は、多く教師が抱くものなのでしょうか。気になるところです。
 
 どうして、そのような思いに行きつくのかを、以下述べていきます。
① 子どもたちから学ぶ姿勢
 これを教師がもっていないと上記の感覚をもつことは少ないのではないでしょうか。研究授業が終わって純粋に「よくあの発問で、子どもたちは理解して発言できてたなぁ」「普段なら脱線するところが今日はなかった。子どもたち、よくがんばった」「たくさんの先生が見ている中で、手を挙げて発言なんてよくできるなぁ」というように感じます。「教師が子どもたちに何かを教えている」なんてことは甚だしいのです。教師は子どもたちから教えられていることの方が圧倒的に多いのです。この意識もなしに授業など進めていても、教師の一方的なものとなってしまいます。子どもはついてきません。思考停止で静かに座っていればよいのですか。それがあなたの理想とする授業・学級づくりなのでしょうか。子どもから学ぶことは実にたくさんあります。教師こそ謙虚になるべきです。子どもの真の声が聞けるようになったとき、授業や学級が変わってくると思うのだが…

② それまでの努力があってこそ
「子どもに助けられる」からといって、授業準備を疎かにしていいということではありません。むしろ、それまでに教材研究を積んできたり、前時までの授業を計画的に進められたりしてきたからこそ、本時の子どもたちのがんばりがあるのだと考えます。子どもをがんばらせるのは、もちろん、子どもの内面から出てくるものが一番ですが、外からの影響によるところもあるでしょう。学びの雰囲気が教室にあれば、がんばって挙手する自信が生まれます。教師の必死な姿に何かを感じ取る子どもがいるということもあるでしょう。
教師は権威者です。無意図に指示を出したり、理解し難い発問を投げかけたりしたとしても、子どもたちは健気に考えて何かを書き始めるのです。このことを廃する努力を教師は続けなければなりません。決して目の前の子どもたちの姿に甘えていてはいけません。

③ この状態こそが「子どもも主役、教師も主役」の授業?!
 「授業は子どもも主役、教師も主役」という言葉は、私の師匠・有田和正先生の言葉です。子どもががんばる授業こそ、私のねらう授業です。決して私が強引に引っ張ったり上から教えたりする授業を望んではいません。子どもの活躍があるからこそ、私もがんばれるのです。そのような授業を計画することそれ自体が、「子どもに助けられる」授業をつくっていることになっているのかもしれません(う~ん、よく分からないですよね)。

けれども、「次こそは、子どもに助けられなくても成立する研究授業をめざす」ことしか私にできることはありません。やはり、子どもに甘えてはいけないのです。子どもの健気さに迎合してはならないのです。だからこそ、授業は奥が深いといえるのでしょう。
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プロフィール

Teru3128

Author:Teru3128
小学校、特別支援学級の担任です。
今年度で教職14年目。
教師修業をぼちぼちと進んでいます。

本年度は、特別支援学級における「道徳授業」を追究する一年間です。
失敗から見えてくるものを大切に、授業実践の楽しさに浸っています。

そして、今年は有田実践からも学び広めていきます。

心を耕し、技術を磨いていきます。
よろしくおねがいします。

ありがとうございます!
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