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子どもは健気である。子どもの健気さに頼りすぎない

子どもは健気です。
稚拙な発問に対しても、「大好きな先生がぼくたち・わたしたちに問いを出してくれているのだ」と、子どもたちは一生懸命に考えます。
子どもは健気です。
ろくに議論する内容でもないものに対してであっても、「話し合いなさい」と言われれば、自分の意見はなんだろうかと懸命に考え、話し始めます。
子どもは健気です。
宿題に作文の続きを書かせたり、算数の授業でできなかった問題を解かせたりといったものが出されても、家で期日までに何とかし上げようと躍起になります。たとえそれが、教師の計画ミスで終わらなかったものであったとしても。

大好きな担任の先生が言えば、子どもたちは何だってしてしまうのです。
これが教育の怖いところなのです。
「静かにしなさい」などという、ど素人教師の言葉でも、子どもたちは聴いてくれるのです。
稚拙な発問でも、目の前の大人が「考えろ」と言っていれば、子どもたちは懸命になって考えるのです。このような、子どもたちの健気さに頼ってはいけない、とまでは言わない。どれだけ上手く完璧に行ったとしても、子どもたちに頼らなければ私たちのやっていることは成立しないのだから。
しかし、子どもの健気さに「頼りすぎる」のは、やめた方がいいのではないかと考えます。
前述のように、私たちは子どもたちの健気さに頼って、日々が営まれています。だからこそ、「頼っている」と「頼りすぎている」の線引きが難しいのです。
線引きが難しいとなると、教師のすべての言動に対して「これは、子どもたちの健気さに頼りすぎていないだろうか」と省察する必要があると考えます。

おそらく、一番このことを感じるのが、研究授業の後ではないでしょうか。
子どもたちに救われたという経験は、ほとんどの教師が持ち合わせていることでしょう。
・分かりづらい発問にも、発言してくれた
・なかなか手が挙がりづらいところで、挙手が出てきた
・いつも以上にノートに真剣になって自分の意見を書いている

「子どもたちががんばった」という授業こそ、きちんとふり返る必要があります。発問はどうだったのか、板書は分かりやすいものだったのか、本時までの授業がどのようなものだったのか……子どもたちのがんばりに甘えることなく、授業力を高めることに邁進しなければならないのです。

教師はもう少し、自分がやっていることをふり返って、さらに向上させることをしていかなければなりません。なぜなら、私たちが子どもたちに課していることがまさに「自己を見つめ、向上を図る」そのものではないでしょうか。子どもにやらせているのなら、教師が率先してやらなければなりません。そのような教師に、子どもはついてくるのです。
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Teru3128

Author:Teru3128
小学校、特別支援学級の担任です。
今年度で教職14年目。
教師修業をぼちぼちと進んでいます。

本年度は、特別支援学級における「道徳授業」を追究する一年間です。
失敗から見えてくるものを大切に、授業実践の楽しさに浸っています。

そして、今年は有田実践からも学び広めていきます。

心を耕し、技術を磨いていきます。
よろしくおねがいします。

ありがとうございます!
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