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何がその子に届くかなんて分からない

「子どもの実態を的確につかみ…」
 「全員が課題意識をもって主体的に授業に臨むには…」
 「子どもを理解して授業に向かうことが不可欠だ。…」

 これらは、その通りです。これを目指して日々、悪戦苦闘しているのです。
 私には、何がその子の内面に届くかなんて、正確には分かりません。その子に合うチャンネルをタイミングよく提供できればベストですが、そんな力量は持ち合わせていません。
 だとしたら、それができるようになるまで教師として生きることはできないのでしょうか。理想論で言えばそうなのかもしれません。
 それでも教師としてやっていくのです。今、私ができることは、できるだけ多くのチャンネルを提示することだけなのです。

 突然ですが、道徳の時間は35時間あります。
 35回の授業を、手を替え品を替え準備をしてく。子どもたちの心に響く資料や話はないかと資料探しに奔走をする日々です。
 一つの資料で全員の心が輝き変容が起きるとは正直思っていません。一人か二人、何か心に残ればいいのではないでしょうか、それぐらいのハードルの低さで取り組んでいます。
 このように考えているからこそ、35回の異なった授業が必要なのだと考えます。35回の授業を通して、「この資料とこの資料を使った授業は覚えている」「あの授業は今も心に残っているなあ」という思いを全員にもたせられればいいと考えています。
 もちろん、「できるだけ多くの児童に響く・変容の起こる授業」と考えて臨みます。そのための教材研究・授業案づくりを進めています。しかし、45分の授業でどれだけの児童の心・頭・体に響かせることができるでしょうか。自己の実践を見つめ直していくほどに、そのように考えてしまうのです。
 このことは道徳の時間に限ったことではありません。教科の授業であったり、休み時間や給食時に子どもたちと語らう場面であったりと、教師はやはり多くのネタや話のチャンネルをもっておく必要です。
 学級通信もこれに当たると考えます。毎日出した年があります。一枚の通信に書かれていることに全員の児童が響くなんてありえないでしょう。毎日出していれば、どれか一枚はその子に届くものが生まれるのではないか、という思いで発行を続けました。

 どうして多くのチャンネルが必要なのか、それは、子ども一人一人が違うからなのです。通り一辺倒の授業や教室運営をしている教師は、子どもたちを十把一絡げにしか見えていないのではないでしょうか。子どもが違うのなら、話す内容や話し方、対応の仕方、授業での働きかけが変わっていくのは当然であると考えます。そして、目の前のその子にあったものは何かを探っていき、見つけたものを媒介としてかかわっていくのです。それには、教師としての力量だけでなく人間力を磨くことも必要となっていくのです。
「何が子どもに届くかなんて分からない」…この言葉には、「子どもは一人一人違っている」ということと「子どもの全てがわかるなんてことはあり得ない」だから、「教師は、目の前の子どもから学ばねば、何も始まらない」ということを意味しているのです。
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プロフィール

Teru3128

Author:Teru3128
小学校、特別支援学級の担任です。
今年度で教職14年目。
教師修業をぼちぼちと進んでいます。

本年度は、特別支援学級における「道徳授業」を追究する一年間です。
失敗から見えてくるものを大切に、授業実践の楽しさに浸っています。

そして、今年は有田実践からも学び広めていきます。

心を耕し、技術を磨いていきます。
よろしくおねがいします。

ありがとうございます!
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