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「全員」をねらうが、「全員」をねらわない

矛盾になっていて分かりづらい言葉に感じることでしょう。けれども、この表現でしか表せないことをお許し願いたいです。
 私は授業において「全員参加」「全員発言」にこだわります。
 しかし、これほど怖いものはないだろう、とも考えています。
 以下のように、この矛盾のフレーズに対しても実は結構真面目に考えています。

 「全員が先生(私)のことが好き」などと言い出したら、私は教師をやめます。宗教家になろうと考えています。
 全員を導けるのだから、宗教家としての素質があるのでしょう。
 そして、宗教家がやるのは、「教育」ではなく、「洗脳」になります。。
 わたしは、洗脳によって教育をするつもりは毛頭ありません。
 主体的に生きていける子どもたちを育てたいのです。
 
 少し冷静に考えてみるとよいでしょう。
・全員が私のことを好き、などという状態。
・私の指示によって、全員が毎日宿題を提出できるという状態。
 ・全員が、私の一声で立ち上がったり、進んだりするという状態。
……気持ち悪くありませんか。このような教室を理想としているのでしょうか。

 ・俺、今年の担任とは気が合わないんだよなぁ。
 ・昨日は、ちょっと急がしくて宿題できなかった。
 ・今日はちょっとつかれているんだ。今は、そういう気分じゃないんだ。
……これこそ、まっとうな人間の心情だと思うのですが、どうでしょうか。

学校に様々なタイプの教師がいるのは、どうしてでしょう。
苦手な担任になっても、学校で過ごせるためであると考えます。
担任には相談できなくても、隣のクラスの先生にだったら話せる、それでよいではないでしょうか。
だから、いろいろなタイプの教師がいてよいのです。むしろ、いないといけないのです。
いろいろなタイプの教師がいるからこそ、多くの子どもたちが学校に行けるのだと考えます。

だから、私は危惧しています。
みんながみんな「規律」だといって厳しい指導しかできない状態を…
学級崩壊させないように、保護者からクレームを言われないように、他の先生から目をつけられないようにと、同一歩行だけがよしとされている現状を…

学校がめざすところ、教師がねらうところは、そこだったのでしょうか。
そんな学校教育が求められるのなら、こちらから払い下げです。
堀裕嗣先生の言う、「教師らしい自分を目指すな。自分らしい教師を目指せ」という言葉に大きく納得しています。
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プロフィール

Teru3128

Author:Teru3128
小学校、特別支援学級の担任です。
今年度で教職14年目。
教師修業をぼちぼちと進んでいます。

本年度は、特別支援学級における「道徳授業」を追究する一年間です。
失敗から見えてくるものを大切に、授業実践の楽しさに浸っています。

そして、今年は有田実践からも学び広めていきます。

心を耕し、技術を磨いていきます。
よろしくおねがいします。

ありがとうございます!
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