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教師修業としての「思考すること」一考

 堀裕嗣先生が言う「怒鳴る教師になってはいけません」という主張、私は大きく頷く。
 
 これ一つを意識するだけで、教師の動きは劇的に変わる。
 
 私は堀先生が主張される前に、次のようなことを意識して取り組んでいた、それは、「『静かにしなさい』と言わずに、静かにさせる」ということである。

 このようなことを意識すると、如何に普段の行動が、教師の甘えや不勉強・無自覚からくるものであるかがまざまざと知ることになる。そして、これらの自覚から、教師修業の第一歩が始まる・第一歩を始めたいと考えている。

 「怒鳴らない」「静かにしなさいと言わない」と、自分自身にリミットをかけるのだ。これによって行動が制限され、不自由さを覚えるだろう。しかしながら、それは異なると考える。実は、行動範囲が広がり、教育実践の不自由さから解かれることとなる。「怒鳴らない」とすると、行動原因に思いをはせたり予防指導へとシフトチェンジもできる。「静かにしなさい」と言わずに静かにさせるためには,アイテムを使ったり、話し方を変えたり、さまざまな手立てが考えられる。それには、教師が思考を始めることによって気づくところである。

 教師こそ思考する存在でありたい。教師の言動は意図的なものでなければならない。それこそ、プロとしての姿勢である。

 教師としての思考トレーニングはどのようにしたらよいのだろうか。それは、あなたの足元にある。日々の目の前で起きており、些細であると考えがちな児童生徒の動きや同僚の指導のあり方から、思考を働かせることが大切だと考える。思考を磨くことで、見える世界が変わってくる。そして、日々の学校生活を見ていると、如何に教師が「怒鳴ることをしている」「静かにしなさいと言っている」ことが分かる。

 例を挙げる。全校集会での教師の立ち位置である。これを見るだけでも学べる。なぜあの先生は、子どもたちの列の前にいるのか。横から見ている先生はどこを見ているのか。いろいろ動いている先生の意図は何だろうか。
こうして児童や教師の動きを見ていくと、自分の言動をふり返り、考える機会となる。そして、学校生活のさまざまなところで思考の機会が山のようにあることを認めることができる。

 教師の思考状態を意識して高めることが教師力を高めることにつながる。

 教師がさまざまな視点をもつことである。それは、救える児童生徒を増やすことになる。怒鳴ることで聞ける子どもがいる一方で、聞けずに反発する子もいる。静かにしなさいという言葉が入りやすい子が全てではない。さまざまな児童生徒がいるのなら、教師もさまざまな手だてを講じて指導を進めるべきである。これこそ、個に応じた指導である。個に応じた指導ができる教師は、思考のできる教師である。

 異業種は異なる視点をもっている。実は、特別支援学級は通常学級とは異なる指導技術をもっている。障がい特性に応じた指導をしたり、個の実態をふまえた支援を進めてきたりしている。支援学級の教師は、怒鳴ることも極力減らしているし、「静かにしなさい」以外の指導アイテムをもっている。これは、その教師が子どもに合わせて指導をつくってきた賜物である。教師の思考力の産物である。

 もちろん、本を読んだり、自身の取り組みをまとめたりすることで、思考が働く。落ち着いて考えることも大切である。ただ、それだけでなく、学校で、教室で行われている目の前の言動から考えられることも非常に多い。

 最後に、子どもに「考えてごらん」というのなら、教師が率先して思考することだ。思考することの楽しさを教師自身が理解しておくことだ。教師の言動から感化される子どもの指導力もあるのだ。
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プロフィール

Teru3128

Author:Teru3128
小学校、特別支援学級の担任です。
今年度で教職14年目。
教師修業をぼちぼちと進んでいます。

本年度は、特別支援学級における「道徳授業」を追究する一年間です。
失敗から見えてくるものを大切に、授業実践の楽しさに浸っています。

そして、今年は有田実践からも学び広めていきます。

心を耕し、技術を磨いていきます。
よろしくおねがいします。

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