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1月3日(金)その1

1.教育書ほど読みやすい本は、ないと思う(ここ20年ぐらいのものは特に)。

「具体的」「即使える」

こういう読書も必要。さまざまな子どもたちと関わるために、より多くの手だてを知っておくことは不可欠である。

ただ、注意点もあるのではないか。
教師のフィルターを通す、即ち「考える」ことなく、本に書いてあること→即、教室で試してみる、となってしまう。

これがいけないと言っているのではない。現に私もそのようにして渡ってきている一人である。...
しかし、「それだけではいけない」とは思う。

子どもたちに「考えろ」と指導するのなら、教師も「考える」修行を積まないといけないのではないか。

「考える」読書も必要である。

具体的には「(今の自分では)よく分からない」本を読んでみることである。

読みやすい本ばかりに囲まれないことである。

分かりづらい本を読み進めるだけで、多くの思考をしている(そうしているから、読み進めることができる)。

そして、その分かりづらいところに、具体的記述とは異なる「著者の思想」が書かれている。

教育書なら、どんどん過去の先人の書を読むとよいだろう。

個人的には、内田樹・鷲田清一・宇佐美寛先生の本は、今の私ではなかなか読み進められない。



2.子どもたちをさらに一歩、高みへ導くための指導や授業の時間。

そんなこと全く考えもせず、子どもたちとしゃべって笑い合ったり、バカになって遊んだりする時間。

どちらも贅沢で幸せな時間。

その時間が流れているのが、学校であり、教室である。



3.教師なら(教師でなくても)、「笑顔の大切さ」は心得ている。

「楽しさが学ぶ意欲につながる」
「笑顔あふれるクラスをつくる」

いろいろ意味づけや、目的があるだろう。

このような「先が見える・意図した」ものをもっているもう片方には、

【ただただ、笑顔の時間がいいっしょ!】

という「その瞬間・突発的な」ものとしても、持ち合わせている。



4.「級訓とは、全く逆のクラスになることがあるんだよ」

2〜3年目の頃だったと思う。先輩教師から聞き、「そんなことないでしょ〜」と返していた記憶がある。

ふと、このことを思い出し、思考を巡らせてみると「分からないでもないなぁ」と思った。

例えば...

「笑顔あふれるクラス」

これを意識し過ぎるがあまり、笑顔がぎこちなくなったり、子どもたちに見透かされ、逆に笑顔が教室から少なくなっていく...

しかしながら、「意識しないことは、実現しない」ということも真理である。

意識を越えて「無意識」の段階になった時に、実現に向かっていく

のかもしれない。

そうだとしてもそれにはやはり、「明確に意識して進む段階」が不可欠であり、その段階での取り組みにおいて、喜んだり悩んだりしているのだ。
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Teru3128

Author:Teru3128
小学校、特別支援学級の担任です。
今年度で教職14年目。
教師修業をぼちぼちと進んでいます。

本年度は、特別支援学級における「道徳授業」を追究する一年間です。
失敗から見えてくるものを大切に、授業実践の楽しさに浸っています。

そして、今年は有田実践からも学び広めていきます。

心を耕し、技術を磨いていきます。
よろしくおねがいします。

ありがとうございます!
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