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「自由にやりなさい」は、かえって不自由であるという事実

図工の時間や国語で作文を書くときなどこの言葉を使っているかもしれません。
「自由にやっていいんだよ」
支援学級の児童生徒は、「自由にやっていい」と言われて、次のようないわゆる不適切な行動をとると考えます。

①何もしない(何もしないことは自由にはならないらしい)…それに対して、教師は、「どうしたの?好きにやっていいんだよ」といわれても、そのまま何もしない
②あまりにも独創的な作品を作り始める(自由にも幅があるらしい)…これに対して教師は「う~ん、ここはこうやってするといいんじゃないかな」とやんわり時には強いアドバイスが出る。
③先生が想定する「自由」の範疇で、今回の教材においては偶然、進めることができる、

さて、このような様子を示す子どもたちに対してどのような手だてを講じていけばいいのでしょうか。さらに「自由でやってみようよ」と言い続けるのか。それではいけません。

 一つめは「自由でいい」などと言ってしまうから混乱が起きるのだという考え方です。自由でいい訳がないのである。時間も区切りがあるし、場所も決まっています。安全上の配慮もあるし、作文ならだらだらと出来事を時系列も無視して書いたらやり直しになってしまうのでしょう。
 適切な指示や支援を講じるべきです。教師の動き一つで救われる子どもがいるのです。
  ・何時間で終わるかを伝える。使って良いものを示すこと。
  ・板書を効果的に使って、いつでも何度も見て分かるようにすること。
  ・モデル(見本)を用意して、ゴールイメージをもたせること。
  ・やり方が分からなければ、先生に質問に来ることを伝える。
  ・細かく評価をしていく。
 自由の範囲を示すことです。枠を設定するという不自由さの中で子どもの活動を保障します。そして、適切な評価を細かく進めていくことで、子どもは「これでいいのだ」と自信をもつことができます。それによって、子どもの主体的な動きが出てくるのです。

もう一つは、「自由でいいと言うのなら、徹底的に自由にさせる」という考え方です。 どのようになってもOKと教師は腹をくくるのです。そのためには安全面には配慮(必要のないものは取り払う)して、指示は最小限にして、子どもたちに活動させます。教師は子どもの活動している様子を見守るのです。
 
 「自由でいい」という指示によって、苦しむ子どもがいるということは、教師は理解しておいてよいだろう。実は、私も「自由でいい」といわれた途端、何をしたら良いのか分からなくなってしまうのです。「この材料で、何か作れっていわれてもねぇ」という状態に陥ってしまうのです。
 やはりこういう子どもには、とっかかりを示してあげた方がよいのでしょう。教師から示すのもありだし、子どもと話し合って決めるのもよいでしょう。複数提示して、子どもに選択させることも効果的だと考えます。
そして少しずつ教師の手を減らしていくのです。最後は子ども一人でやらせて、達成感を味わわせることが必要です。このことが次の活動へのきっかけになるかもしれません。
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プロフィール

Teru3128

Author:Teru3128
小学校、特別支援学級の担任です。
今年度で教職14年目。
教師修業をぼちぼちと進んでいます。

本年度は、特別支援学級における「道徳授業」を追究する一年間です。
失敗から見えてくるものを大切に、授業実践の楽しさに浸っています。

そして、今年は有田実践からも学び広めていきます。

心を耕し、技術を磨いていきます。
よろしくおねがいします。

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