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教師修業としての「メンタルヘルス論」一考

 気持ちのパワーが弱まり、仕事が滞ったり、療休・休職をしたりする教師が出てきている。

 私も2か月の療休を取った教師である。

 それから2年以上が過ぎた。仕事は進められているが、いいときと良くない時をくり返しながらの日々である。どうにかこうにかやれている、というのが実際のところである。

 さて、こんな私が書く「教師のメンタルヘルス論」。あくまでも私の範囲内のことなので、ぼんようせいがあるとは思えないがまとめてみる。

 まずは、リズムをもって仕事を進めておくことだ。苦痛に感じるときは、仕事のリズムが崩れているときである。リズムが崩れると、そこから一歩を踏み出すときに大きなエネルギーを要する。このエネルギーが出しにくいので休んでしまうというところもあるだろう。

 仕事の進め方については「調子が良いときにどんどん進めておく」ことを療休以降、大切にしている。

このことによって自分自身が救われたことも何度もある。明日やれることは明日やればいいという仕事の進め方をする人もいるだろう。そういう人もいてもよい。それがその人にとって必要な、仕事のリズムなら尊重されるものである。私にとっては、「明日やれることも、今日やれるならやってしまおう」というスタンスである。これで仕事のリズムを作っている。

 私は「調子が悪いときは、必ず出てくるものだ」という考えをもっている。「自分自身の体調と共に生きる・受け入れる」という姿勢をもつことができたのだ。調子が悪い日々も含めて一年間の仕事リズムで捉えるようになった。

 これは子どもたちへの指導についても同様。元気なときに指導に全力で当たる。私の調子が悪いときは、(指導によって)成長した子どもに頼る(頼ることで生まれる成長もある。このことすら、指導の一環であるとすら捉えてしまう)。療休を通して得た処世術かもしれない。「今の状態を受け入れる」ということが私の状態にとっては大切なことである。受け入れた上でできる仕事の仕方を編み出していったのだ。

 また、「チーム論」という観点からも大切にしていく視点が出てきた。それは、「おそらく全ての教師は、何かしら抱えながら、教師の仕事をやっている」ということである。この観点から、私は、周りに頼ることも少しずつではあるができ始めたし、その担任が独断で進めている指導は、実は他の先生がその教室に入った際には、それが一番の弊害となってしまうということである。

 私自身、かなり個性的な指導を進めてきた。休んだときに入ってくださった先生は、慣れるまで大変だったことだろう。このことは、勉強している教師にとってはジレンマとして受けとめられることだろう。しかし、今述べたような視点はもっていたほうがよいだろう。これについての相克を埋める手だてやヒントは今のところまだ見いだせていない。

 最後に、人間関係のもつれから調子を崩してしまう場合である。何故このことを最後にしたのか。それは、私が休んだ理由がこのことが大きなものではなかったからだ。同僚とは無難にやれていたし、子どもや保護者との関係はむしろ良好であった。教師のメンタルが崩れる要因は、本当はこの人間関係なのだろう。人間関係については、保護者や同僚についてはあまり考慮していない。子どもを伸ばすことを第一に進めていた。

 これでももちろん、保護者とトラブルを起こしたり、同僚との関係がまずくなる場合もあるだろう。人間関係については、適切な距離感を取ることや、あまり深入りしないことが大切ではないか。深入りしてもやっていける人・そういうことを好む人ならそれでいいかもしれない。しかし、気持ちを痛めてまですることではないだろう。
 
 私を救ってくれたのも先輩教師である。人とのつながりは大切だが、自分自身がどこまでやれるのかを考えながら進むとよいのかもしれない。自分自身を知り、驕らず謙虚な姿勢をこれまでよりはもつことができるようになったのは、収穫の一つである。
プロフィール

Teru3128

Author:Teru3128
小学校、特別支援学級の担任です。
今年度で教職14年目。
教師修業をぼちぼちと進んでいます。

本年度は、特別支援学級における「道徳授業」を追究する一年間です。
失敗から見えてくるものを大切に、授業実践の楽しさに浸っています。

そして、今年は有田実践からも学び広めていきます。

心を耕し、技術を磨いていきます。
よろしくおねがいします。

ありがとうございます!
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