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主体的な動きを見せた子どもたちから考える

【子どもたちの成長が見られた瞬間~雪の日の朝のこと~】
 木曜日、愛知でも積雪があった。小学校教師としては、「子どもたちと雪遊びができる」と、非日常を共にするために意気込んで出勤するものであろう(私だけかもしれないが…)。 

 しかし、私は遅刻。そして、W先生も遅刻という状態であった。朝の会の時点で教室に担任がいないという、非日常の状態になったのだ。

 さて、この時の子どもたちは、時間になると着席をして思い思いに過ごしていたという。朝の歌が流れると、起立して歌い始めたという。そして、F先生が話を始めようとすると、Rくんをはじめみんなが、目を合わせて聴いていたという。

 当然だが、私はその場にはいない。出勤してF先生からこの様子をうかがった。そして「先生からもぜひ褒めてあげてください」とおっしゃっていただいた。無邪気に雪と戯れる子どもたち、その前には大きな成長の姿があったのだ。

 このような行動・成長の姿が見られるにいたった要因を考えてみる。

①ルーティンの朝の動き…子どもたちは「おはようございます」と言って教室に入ると、用具を机の中にしまい、宿題を提出し、明日の予定を書いたら、チャイムが鳴るまで思い思いに過ごしてよい、ということになっている。もちろんこの雪の日もそのように行動していたと考えられる。5・6組の子たちにとって、ルーティンの行動が及ぼす作用は通常学級の児童以上である。「これをやっていれば、よい」という心の安定を保ち、「自分で行動できる」という自己成就にもつながると考える。しかし、この日は1点違った。明日の予定が背面黒板に書かれていなかったのである。

②教師と子どもとのつながりに裏打ちされた、トラブルシューティング…学習用具を忘れた子がいる。担任に「○○を忘れました。」と報告に来る。私はその後、「で、どうするの」と聞き返す。その子は考えて、「貸してください」や「△△さんに見せてもらいます」と答える。このことを、5・6組でも、2年生の忠輝くんにも指導している。失敗やトラブルは当然起きる。その際に、考えて行動することをその都度、指導している。そして本年度は特に、「自分で考える」ことを重視した指導をしている。まずは自分で考えさせ、考えたことを言わせる。そしてその考えついた行動について、実際にやらせてみたり、代替案をこちらが示したりしている。「自分で考えられた」ということに重きをもった指導である(最終的には。よりよい行動をとらせて、「これでよかったんだ」と納得させて終わるようにはしている)。もう一つは、私のミスである。交流授業をどこでやるのかを確認できていなかったり、今回のように明日の予定が書けていなかったりと、このようなものは日常茶飯事である。これらは大人のミスである。弁解の余地はない。子どもたちからは「困っちゃうよぉ」などという声も出るが、「ごめんごめん」と言って、そこは真摯に動いている。そして、こういうときは「先生が、解決してくれる。分かるようにしてくれる。悪いようにはならない」ということを子どもたちも認識してくれているのだろう(こういう時こそ、持ち物などをていねいに話をしたり、交流授業に遅れても叱られないように、事前に交流の先生に事情を伝えたりしている)。
学校生活において、トラブルや困ったことなしの生活などあり得ない。何か困ったことがあっても「大丈夫。こうすればいい」「大丈夫。先生が助けてくれる」というようなものが子どもたちの中にあれば(育っていれば)、子どもたちは自分たちで判断して行動できるようになるのかもしれない(「こうすればいい」と「先生が助けてくれる」。相反する事象であるが、両者が必要なのだろう。双方をバランスよく育てていくことが、子どもたちの自主性につながると考える)。

③何かを始める前には一度、静かにする…このことは今回改めて考えてみて、当てはまるかもしれないと考えたものである。静かになることで「おやっ、今から何かあるのかな」という空気が生まれる。何かが始まる前には教師の指示や説明などの話がある。その話を聞くことが大切であり、聴くことでやることが分かる(話しを聴くことに子どもたちが「価値がある」と認識できている)という意味もあるだろう。ましてや、担任二人がいない状態である。いつも以上に、聴く必要があるな、と子どもたちながらに感じた上での行動だったのだろう。

 もちろん、上記3つを支えるものとして「子どもたち同士のつながり」もあろう。個々の優しさや、6年生の話を素直に受け入れられる関係性も存在する。これは、子どもたちが日々の生活の中で、子どもたちの中でつくってきたものである。「人は人の中で育つ」という言葉を聞いたことがある。「子どもたちは子どもたちの中でこそ育つ」ものなのだろう。

 「先生がいないときが、本当の勝負の時だよ」という話を担任した学級には事あるごとに話してきた。私の指導の根底にはこの考えが常にある。それはミクロでいえば、教師が教室に入るのが遅れたり、自習の時間であったりするし、マクロでいえば、子どもたちが学校を巣立ち、社会に出たときのことである。その時にどのような行動をとることができるのか…教師の指導が子どもに届いているか否かはこの瞬間にこそ如実に出ると考える。

 子どもたちの朝の動きのことは、雪遊びのあとにほめながら話し、通信にもこのことを載せた。2人の保護者から反応があった。Rくんの保護者からもあり、「子どもたちすごいですね。凌嘉にとってもうれしかったみたいで、通信を自分から出して見せてくれました」といううれしい言葉をいただいた。
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プロフィール

Teru3128

Author:Teru3128
小学校、特別支援学級の担任です。
今年度で教職14年目。
教師修業をぼちぼちと進んでいます。

本年度は、特別支援学級における「道徳授業」を追究する一年間です。
失敗から見えてくるものを大切に、授業実践の楽しさに浸っています。

そして、今年は有田実践からも学び広めていきます。

心を耕し、技術を磨いていきます。
よろしくおねがいします。

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